Peony’s ブログ

日々気づいたことやニュースなどなどを綴っていきます

10年目の3.11 被災地の祈り「生きていることに感謝」

みなさん

 

こんばんは

 

あの大地震から10年、本当にあっというまですよね〜

www.nikkei.com

冷たい海風が吹き付ける岩手県宮古市田老地区。東日本大震災が起きた午後2時46分、鎮魂のサイレンが鳴り響き、高さ10メートルの防潮堤の上に集まった地元の小中学生や住民らが一斉に黙とうした。

「震災のない平和な時代が続きますように」「天国から田老の復興を見守っていてください」。犠牲者の追悼や復興への願いなど10年分の思いが書き込まれた短冊が用意された。集まった人々が短冊を結びつけた風船を放つと、澄み切った青空に勢いよく舞い上がった。

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あれから10年もたったなんて信じられないです。あの日私は日本にいて、東京・丸の内の新築の高層ビルで働いていました。

高層ビルって免震・耐震構造で安心なんですが、ビルによっては揺れることで、揺れを収めようとする作りだったりで、アトラクションかのごとく揺れました。本当酔いそうになりました。。

当時17階くらいで急いで、階段で降りて行った記憶があります。

残っていた人もすごくいますが、私はかなり身の危険を感じ、ジム用のスニーカーを机の下に置いていたので、履き替えて階段でぐるぐる1階まで降りて行ったの覚えています。

 

外に出ても、ぐらぐら揺れてる丸の内の古い高層ビルやヒビが入ったビルが見えたり、、そして会社ビルのカフェで一旦収まるまで待って、帰宅するよう連絡が入って徒歩で自宅まで3時間かけて帰ったのを思い出します。

 

 

10年前、この地区は約10メートルの津波に襲われ、約190人が犠牲になった。仙台市宮城野区の会社員、北芝佳代子さん(44)は長男(15)や友人家族とともに、3月11日に初めて荒浜に足を運んだ。家族は無事だったが、友人には家族が行方不明のままの人もいる。「生きていることに感謝しながら、当時に思いをはせたかった」と話し、「10年はあっという間だった。全国から支援をもらったけれど、恩返しできているかな」とつぶやいた。

今はコロナだったり、地震だったり、本当に予測できないことが起きたりして多くの大切な命が奪われたりしますが、この記事のタイトルのように生きてる事に感謝ですね。そして予防できる対策はする、でも悔いないような生活を送ろうって確か10年前に思った気がします、また再確認ですね。

 

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